睡眠について
睡眠障害はヒトの病気の中では最も頻度が多いもののひとつで、睡眠の知識なしには精神医学は語れないとまでいわれています。ここでは睡眠の基礎について述べます。
Ⅰ.睡眠研究の始まり
睡眠について述べる第一として、「睡眠とは何か?」ときかれたらどう答えたらよいのでしょうか。
難しくいえば、
(1)動物の個体全体の活動が低下した状態で、
(2)脳の働きによって発生し、調節された、
(3)正常な現象で、完全に可逆的で、
(4)意識水準の低下があり、筋肉の弛緩などがある、
ということになります。
「あの人、いびきをかいてよくねむりますね」といっても、揺り動かしても起きなければ、眠っているのではなくて意識をなくしているのです。要するに睡眠というものは全てのヒトに存在し、昔からこれについての研究はされていました。
1862年コールシュッターは、ヒトの睡眠深度は入眠後急に深くなり、その後、明け方に向かって次第に浅くなると発表しています。これは音を聞かせて、どの程度の音の大きさで目覚めるかを調べたものでした。しかし、この方法の欠点は睡眠深度測定のたびに被験者が目を覚まし、自然な睡眠が妨げられることでした。
このような方法論上の制約が睡眠研究の進歩を妨げていたところ、二つの大きな発見が睡眠研究に画期的な発展をもたらしました。その一つは脳波の発見であり、もう一つはレム睡眠の発見です。
Ⅱ.2つの睡眠ーレム睡眠とノンレム睡眠
1929年ハンス・ベルゲルの脳波の発見後、被験者を起こさないで一夜の睡眠深度を連続的に調べることができるようになり、睡眠深度が深くなるにつれて、脳波には周波数の遅い波がでていることがわかりました。睡眠時の脳の活動低下に平行して脳波の周波数が遅くなるであろうとの予想にも一致していたので、睡眠と脳波との関係はこれでほぼ研究され尽くしたと考えられていました。
ところが、1950年ギッブスは、夜明け方に外見上はよく眠っているのに、脳波は覚醒時に近い脳波像を示すことを観察しました。1953年アゼリンスキーとクライトマンは、睡眠時の赤ん坊の眼球運動を研究していて、急激な眼球運動を伴う睡眠期が存在することを発見しました。その後、この急速眼球運動Rapid eyemovement(REM=レム)を伴う特殊な睡眠についてさまざまな研究が積み重ねられ、このレム時期の睡眠は、レムのないときの睡眠(NERM=ノンレム睡眠)とは全く異なる機構をもっていることがわかってきました。(図1) (図2)
Ⅲ.睡眠時の生理機能
睡眠の本当の研究が始まったのは、レム睡眠が発見された1953年からといってもいいもので、まだあまり前のことではありません。ポリグラフ機器 (脳波、筋電図、心電図、呼吸、発汗、眼球運動など)の開発でその内容は飛躍的に発展しました。そして、レム睡眠期とノンレム睡眠期の違いが明瞭にされました。レム睡眠期では急速な眼球運動がおこるが、ノンレム睡眠期ではおこらないこと、レム睡眠期では脳波は覚醒時に近いものを示すが、ノンレム睡眠期では段階1~4までさまざまな脳波像があること、また、レム睡眠期では筋電図の低下が著明であるが、ノンレム睡眠期では保たれていることが確かめられました。(表1)
表1 レム睡眠期とノンレム睡眠期の比較
レム睡眠期 | ノンレム睡眠期 | |
脳 波 | 覚醒に近い | 睡眠段階により変化する |
筋 電 図 | 低下著明 | 保たれる |
眼球運動 | レムが生じる | レムはない |
眠っている間に生理機能がどう変わるかも、さまざまな角度から調べられました。(図3)
(1)体温は早朝4時頃最低で昼頃最高になる。1日1リズムをヒトは持っています。このリズムは安定した強固なリズムで、夜間に睡眠をとらないで覚醒していても、体温は夜明け頃に最低になります。いわゆる時差は、こういう生体リズムによっておこります。
(2)交代制勤務による体調の崩れもこれと同じく、生体リズムの崩れによるものです。車の組立工場で昼の勤務を1週間、夜の勤務を1週間と続けていると、身体の調子が色々と悪くなる人がでてきます。生体リズムの崩れを治すには約1週間が必要であるので、1週間でやっと昼の身体になったと思ったらすぐ夜勤になり、やっと夜の身体になったと思ったら又昼勤というふうに、絶えず生体リズムの崩れがおきるからです。経営者として生体リズムについての知識があれば、少なくとも夜勤、昼勤を2週間以上連続させるようにしないといけないという事がわかります。
(3)心拍数はノンレム睡眠期は減少し、レム睡眠期は不規則、上昇します。血圧は入眠後低下し、その後レム睡眠期に不規則となります。また、夜間狭心症はレム睡眠期に出現することがわかっています。呼吸はノンレム睡眠期は安定、レム睡眠期は不規則です。十二指腸潰瘍患者ではレム睡眠期に胃液分泌が亢進するといわれています。このようにレム睡眠期には自律神経機能の変化が大きいので、レム睡眠期を「自律神経のあらし」ともいいます。
(4)レム睡眠期になるたびに、男性では陰茎の勃起がおこり、女性では陰核の膨大がおこります。朝に陰茎勃起がおきるのは膀胱に尿 がたまるからといわれていましたが、実はレム睡眠に生じた自律神経機能の働きだったのです。(図4)
この陰茎勃起は乳幼児や老人にもおこります。例えば、71~96歳の老人を調べたところ、45%に完全勃起がみられました。入院中の持続導尿は陰茎勃起時に大出血することがあるので要注意です。
(5)成長ホルモンは夜間早期に分泌亢進します。寝る子は育つというのは確かだったわけです。
(6)レム睡眠期ではしばしば鮮明な夢をみますが、ノンレム睡眠期では夢を見る度合いが低く、内容もレム睡眠期ほど鮮明でないことが多いといわれています。
Ⅳ.睡眠と薬物
アルコールや薬物によって睡眠は影響を受けます。
(1)アルコール
飲酒により寝つきはよいが、夜間の睡眠深度は浅くなります。大酒家の多くが昼間に眠くなるのは有名なことです。
(2)睡眠薬
睡眠薬によりレム睡眠の抑制がおこり、急に薬を止めるとレム睡眠が逆に増え、悪夢をみたり、不眠になったりします。(レムリバウンドといいます)
Ⅴ.睡眠の異常
近代工業国では大人の3割が不眠に悩んでいるといわれています。
(1)不眠症
(a) 精神生理的要因によるもの
ほとんどの人が体験します。近親者の死亡、進学・事業の失敗など、精神的ショックが生じたときなどにおこります。また、眠れないのではと予期不安を持つ人は、慢性的な入眠困難がおこります。
(b) 精神疾患によるもの
総合失調症や気分障害(途中覚醒)、不安障害(入眠困難)などがあります。
(c)アルコールや薬物によるもの
長期の飲酒により睡眠は非常に強い影響を受けます。レム睡眠であるにもかかわらず筋力低下がおきずに、夢を見みて動きまわったりします。また、深睡眠がなくなり浅睡眠だけになったりするので、昼間に眠気が生じることが多いのです。覚醒剤やステロイドでも不眠がおきることがあります。
(d)睡眠時の呼吸障害によるもの
睡眠時無呼吸症候群(後述)で不眠がおきます。
(e)睡眠時に四肢のミオクローヌスやムズムズ足症候群、周期性四肢運動障害を伴うもの
睡眠中に足が動いて眠れないものです。
(f)他の内科的あるいは外科的疾患や脳器質性疾患に伴うもの
器質性障害の不眠で最も多いのは脳卒中後です。また、痛みや痒み、不快感で入眠困難になります。
(g)環境因によるもの
騒音などで不眠がおこります。
(h)睡眠相後退症候群
睡眠・覚醒リズムが通常のものより遅れていくものです
(2)過眠症
(a)ナルコレプシー
昼間に耐え難い眠気(睡眠発作)・脱力発作・入眠時幻覚・睡眠マヒ(金縛り)の4症状がおきる疾患をナルコレプシーといいます。ナルコレプシーの睡眠の特徴は、入眠時にレム睡眠が現れることです。(図6)
(b)周期性傾眠症
思春期に発症します。1~2週間連続してベッドに臥床してばかりの状態が通きます。1年に1~数回繰り返すことがあります。
(c)睡眠時無呼吸症候群(ピックウィック症候群)
この名前は、イギリスのDikensの小説”ピックウイック・クラブの遺作”に登場する著しく肥満した少年が、その典型的な病像を呈していたことに基づくものです。(図7)
この病気は、昼間にくり返して居眠り、睡眠時無呼吸、肥満、激しいいびきが生じます。昼間に眠くなるので、警官の患者は尋問中に眠ってしまい、容疑者に逃げられたり、張り込み中に立ったまま眠ってしまったりしたことがあります。また、ある患者はコーヒーを飲んでいて眠ってしまい、顔をカップの中に突っ込んで火傷をしたりします。肥満のため夜間睡眠中に気道狭窄がおこり、息が詰まって睡眠がしばしば妨げられ、その結果としておこる睡眠不足を代償するために、昼間に居眠りがおこると考えられています。肥満以外にも気道障害がおきるものは、睡眠時無呼吸症候群になる可能性があります。(下顎形成不全、アデノイドなど)
(3)睡眠中の異常現象
夢中遊行、寝ぼけ、夜驚、悪夢、夜尿、いびき、歯ぎしり、遺精などがあります。
(4)内科疾患と睡眠
夜間狭心症や気管支喘息、十二指腸潰瘍など、睡眠と深い関係があるといわれています。