コラム

なぜ子供たちは事件を起こすのか

-精神科医がみた子どものこころ-

小学校では、学級崩壊といって授業中に先生の授業を全く聞かず、大声で喋り、教室内を歩き回る子ども達がたくさんいる。日本の教育界では、いじめとともに非常に大きな問題となっている。他にもさまざまなことが学校でおきている。小学校の動物園舎で飼っていたウサギを皆殺しにした小学生がいた。万引きは今や中学生がその中心となっている。個人で万引きをしたり、集団で訓練までして万引きを行なう。大勢でホームレスの人達を襲い、追いつめ、棒で殴り、ナイフで殺してしまった子ども達もいた。自分の親に毒を飲ませ、親が弱っていく過程を冷静に観察した子どももいた。小学6年生の女の子が、学校で同級生の首をナイフで切り、殺してしまう事件は衝撃的だった。この女の子は、事件を起こす5日も前に殺すことを決め、殺し方まで考えて、それを実行した。このような事件や問題をおこす子どもをWHO(世界保健機構)の精神疾患の分類では「行為障害」という。

多くの子ども達が学校へ行かないで家にひきこもっている。その子ども達は、朝登校する時になると頭痛や腹痛を訴え、学校へ行くのを嫌がる。学校へ行かないとき、家では元気にしているのである。時に家では大声を出し、母親や父親に暴力を奮う。このような子ども達を「不登校」の子ども達という。

不登校は、能動性の低下・行動力の減退であり、行為障害はその暴発といえる。どちらもさまざまな場面で人とぶつかりあい、社会的な問題をおこす。「不登校」の子ども達は1000人につき30~40の発生がある。「行為障害」の子ども達も同程度発生していると考えられている。今は問題ないが、状況が揃えば不登校になったり、行為障害になったりする子ども達はその約10倍いると推測される。1000人につき300~400人の不登校予備軍、1000人につき300~400人の行為障害予備軍がいると推定される。

 

なぜ、子ども達はこのようなことをおこすのだろう?

人の命の大切さを知らないからだ、死とはどんなことかを知らないからだ、残虐な映画や本がたくさんあるからだ、道徳教育が足りないからだ、家庭の問題だ、躾が足りないからだ、社会の問題だ、などさまざまなことがいわれている。しかし、これが原因だとはっきり納得できるものはない。

子ども達の行動を理解するためには、「人の脳」の成長の仕方を知ることが解明の糸口となるだろう。

人は生まれてすぐは一人では生きることができない。必ず守ってくれる人(多くは親)が必要である。子どもは、空腹やおむつの汚れを泣いて訴える。親がそのことに気づき、自分の希望が叶えられると子どもは泣きやんでスヤスヤ眠ることになる。このようなことを繰り返して人は大きくなっていく。人の脳は生まれてすぐから非常に活発に成長する。ある体験をすると脳はニューロンを作り、グリア細胞を成長させる。ありとあらゆる方向にランダムに脳神経は伸びていくが、生後11ヶ月頃からは、体験が重なるものは残り、重ならないものは脱落してなくなっていく。こういうことを続けて2~3歳になると人の脳には人格の兆しが現れてくる。その人の個性、人柄、自我が芽生えてくるということである。その頃になると子どもは空腹などの初期の物理的な訴えと異なり、「自分というもの」を認めてもらいたいという希望が強くなってくる。この希望が叶えられないとき、子どもは不安になり、いろいろな行動をして自分を認めてもらいたいと訴えるようになる。指しゃぶり、爪噛み、唾吐き、性器いじり、抜毛、目のパチパチなどさまざまなことを行う。自分を認めて欲しいという気持ちの現れである。それでも自分が認められなければ行動はエスカレートし、親が嫌がることまでして自分を認めてくれと訴える。。嘘をつく、人といさかいを起こす、物を盗む、物を壊す、自分より弱いものをいじめる、刃物で他人を傷つける、放火や重大な法律違反を犯したり、どうやっても自分は認められないと分かると、気力をなくして家の中にひきこもったりする。

人格は遅くとも9歳までに完成し、その後あまり変わらずに一生続く。子どもの頃におきた「自分は認められない」という感覚は、成人しても持続する。

子どもが自分を認められない感覚を持つに至る状況は、家庭内虐待がある場合にはほぼ100%の確率でおきる。

しかし、親が虐待しているとはいえない家庭でもおこる。子どもが不登校になったり、行為障害でさまざまな問題をおこしている親子の間には特徴的な関係がある。

(1)親は、子どもを愛していると思っている。

(2)親の愛は子どもにとって最も大切であるとおもっている。

(3)子どもの将来を思って躾(しつけ)しているから、自分達は、正しい

と思っている。

(4)親は子どもに強制していないと思っている。

(5)親は子ども達が犯す出来事の原因は、自分達以外にあると思っている。

(6)子どもは親に自分の良い点を認められたことはないと感じている。

(7)子どもは親に信頼されていると感じたことはない。

(8)子どもは親に強制させられていると感じている。

(9)子どもはもう生きていてもしょうがないと感じている。

(10)子どもは親に復讐したいと思っている。

さまざまな事件や問題をおこす子ども達の心の中には、親に対する嫌悪や憎しみが煮えたぎっている。生まれてからずっと「自分を認めてくれない親」「自分を信頼してくれない親」「考えを押し付ける親」だったのである。

愛という言葉がある。人々は愛こそ幸せのためには最も大切であるという。愛が人を作る最大の武器だという。愛という言葉は確かに心に気持ちよく響く。果たして事実はどうなのだろう。

愛という言葉を辞書で調べると

(1)親、兄弟のいつくしみあう心。広く人間や生物に対する思いやり。

(2)男女間の相手を慕う情、恋。

(3)かわいがること。大切にすること。

(4)好むこと、愛でること。

(5)愛敬、愛想。

(6)おしむこと

(7)愛欲。愛着。敬愛。強い欲望。

(8)キリスト教で神が自らを犠牲にして人間をあまねくいつくしむこと
(広辞苑)
となっている。他の多くの辞書もほぼ同じ内容である。人の人格形成に最も大切だと私が述べてきた、子どもが「認められる」「信頼される」という意味は、「愛」という言葉にはない。愛という言葉は、主にいつくしむ、大事にするという意味で使われているが、これを親から子どもに与えても、子どもは「認められたい」「信頼されたい」のであるから、親子の気持ちの間ですれ違いがおきてしまう。親が子どもをいくら愛しても、子どもの「認められたい」「信頼されたい」気持ちを全く満足させられないのである。自分の親に愛されることと認められること、信頼されることは全く違うことなのである。

子どもにとって愛が最も重要という間違った考えは、世界中に拡がり浸透している。子どもにとって最も大切なことは、子どもが「認められる」「信頼される」感覚であることを世界中に広めたいものである。

子どもの時に「認められない」感覚を持って成人した者は、ストレス性の疾患、人格障害、不安障害、薬物中毒、摂食障害、適応障害などの精神的な問題をかかえることがしばしばある。生きていてもしょうがない気持ちから自殺も多くおこっている。

親に対する復讐の心から、自分の親に直接危害を加えることもあるが、親を困らせて復讐するという方法をとる場合もある。

奈良県で放火殺人事件がおきた。中学生の子が継母と弟、妹を放火して焼き殺した事件である。この中学生は、父親からいつも「勉強しろ」と強制されていた。父親を恨んでいたが、父親に直接復讐するのではなく、父親が大切にしているものを壊し、子どもである自分が犯人になることで父親を困らせ復讐したのである。

附属池田小に男が乱入して児童8人を殺害し、多くのけが人を出した事件があった。その犯人は、小さい頃から親に自分が認められず、常に不満を持っていた。そして、多くの人といさかいをおこし、暴力事件をおこし、成人してからは、何回も自殺企図をおこしていた。こんな自分にした親に復讐したいと思っていたが、ふと見ると幸せそうな子ども達がいた。彼はその幸せそうな子ども達を殺し傷つける犯人になることで、親を困らせ復讐しようとしたのである。復讐が終わったので、もうその後生きる意味がなくなり、死刑の判決がでたのに控訴もしなかったのだ。

このように見てみると、事件の真相が見えてくる。子ども達が事件を犯す原因は色々いわれているが、実は、自分が「認められない」感覚から生じるのであって、他のことは二次的なものといえる。この考え方で人の思考や行動を見ると人の本質が見えてくる。

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